気功ヒーリングを受けられた方の喜びの声・感想!

※たくさんお寄せ頂いたお声から、一部を掲載致しております。

eビジネスインストラクター受講生 気功ヒーリングを受けられた方の感想

●Y様 
お世話になっています。本日はヒーリング、本当にありがとうございました。
以下、弟からの感想です。

「脳出血の後、左半身の麻痺で10年間だんだんと衰える体力を感じていたのですが、魔女のヒーリングの後、どこから湧き出るのかフツフツと新しいエネルギーを感じ、足が自然にポンポンと前に出る感覚を味わいました。また魔女の布を固まった左手に乗っけると心地よいツンツンとした痛みを感じる程のエネルギーを感じました。
これからどのような変化が起こるのだろうと、希望にワクワクしています。
たった一回のヒーリングの後で。」

弟の固まった肘が伸び、喜びで感動している姿を見て私共も感動しました。
改めて魔女のパワーの凄さと、ヒーリングをしてくださったことへの感謝の気持ちで一杯です。本日はありがとうございました!



●S様 ※栃木癒しフェスタにて 
件名: 感謝感激です。心より感謝申し上げます🙇
 私の友人ですが、5年前に高齢出産をしたのですが、自然分娩中に、脳出血をおこし、右半身不随になりました。現在、言語障害、杖をついてなんとか歩け、右手は、感覚がなく、握りしめて開かず、という状況でした。魔女なら、なんとか良い状況にもっていけるのではないかと、小冊子、魔女リーモ、トランプ使うよう事前に渡してありましたが、なかなか、身体が不自由なので、東京までは、難しく、今回、宇都宮に魔女がいらして頂き、是非、友人にも魔女のヒーリングを受けて、何かしら、変化をもたらしてくれればいいなと思っていました。
その友人に案内をおくりましたが、前日まで何の連絡もなかったので、諦めていましたが、なんと、来てくれて、魔女のヒーリングを受けてくれました。
魔女のヒーリング中に、私は、彼女の子供の相手をしながら、聞いていたので、魔女が、彼女に伝えたこと全部は、わからないのですが、魔女がヒーリングの最中に、友人と握手したいと思ったそうです。
でも、右手は動かない。そしたら、動かない右手を左手で包んで、胸の前に手をおき、私は癒されました!と、マリア様にお祈りしなさい と。それを、三回繰り返し、魔女が、友人の手の甲を何度も何度も擦って下さり、指をうごかすと、なんと、握りしめていた指が、一本一本開き初め、手を開く事が出来ました 驚愕です。
本人は、指が開いたことより、手の甲に感覚を感じなかったので、魔女がトントン叩いたという感覚が感じられたことに非常にびっくり していました。
魔女から、友人に対し、動かない、しゃべれない、できない と思う枠を外せ、と。
そして、ご主人が、もっていたのが、木のはしきれで作ってある、枠(友人娘がイベントで当てた木の枠。)をみて、正に、天の計らい。天に一つの間違いがないと、更なる認識をさせられました。
もう、号泣号泣 しきりです。奇跡を目の当たりにした魔女っ子も、皆、もらい泣き です。
本当に魔女には感謝の気持ちで一杯で思い出すだけで、感謝の涙 がでます。本当にありがとうございます。
今回、私の叔母、母に対しても、的確なアドバイスを頂き、本当に感謝しております。

本当に本当にありがとうございました。
魔女、最高です👍



●熊本県 K.I様 
 指先がずっと痛かったのです。
何をしても治りませんでした。

ヒーリングの時、指がピクピクしました。
すると、ヒーリング後には、ピタッと痛みが治りました。

すごいですー!ありがとうございました。
また、受けたいです。



●栃木県 S.N様 
 昨日の東京セミナーに初参加させて頂いた栃木県のS.Nです。
午前中のセミナーは、とても楽しく奥の深い話ばかりで、あっという間に時間が過ぎてしまいました!本当にありがとうございます。紹介してくださったHさんにも感謝です。
午後のヒーリングでは、魔女さんとの会話自体が癒しになるんだなぁと実感すると共に、きっと今が色々な転換期なのだと思う様になりました。
帰りに頂いたトランプで、約束通り今朝、昨日の事に感謝しながら今後の方向性を と思いながらトランプをひきました所、



と出まして!!
びっくり仰天!鳥肌が立ちました。
ここまでとは∑(゚Д゚)!



●熊本県 T.T様

 平成28年3月29日 母は光となりました。享年83歳 28日に誕生日を迎えた翌日でした。

病院を転院して16日間 毎日会いに行けて お話できた事がなによりでした。

松本先生に講座等の参加が難しい状況を伝え ジャストに来ていた魔女っ子からも励ましてもらいました。
魔女から 「上手にうえに上げるのが貴女の役目だよ❗」と言われました。
納得しましたが 日々弱って行く母を看ているのは辛いものがありました。

点滴だけで絶飲食の状態。お水が大好きな母です。しかも氷水! そんな母から水分を奪うなんて とんでもない!誤臙して熱発してもいいからと コットンに水を含ませ口にくわえさせました。少し驚いてましたが 吸う仕草をしたので飲んでくれたと思います。結果 熱発しましたが… それでも数日続けました。水…水…うわ言の様に言っていた母の願いでしたから。

数日たち なぜだかジャストへ電話をしていました。何かにすがりたかったのだと思います。遅い時間でしたが 松本先生が魔女がいるからと取り次いでくださいました。
魔女:「 お母さんに 私が光りになるときは向かえに来てねと伝えなさい。それが上に上がってからの仕事だよと 」

早速母にお願いしました。朦朧とした意識のなか 「ウンウン」と返事してくれました。聞き届けてくれたのです。とても安心しました。が、それは母の温もりを感じられる時間が あと僅かなのだということも意味していました。
亡くなる前日 仕事に行くから待っててねと言うと イヤイヤと母は首を横に振りました。その事がとても心残りです。

29日 仕事中に何か感じ ふと目をやると 大きくてキレイなふわ~っとした光がありました。何だろう… そしてまた同じ光が目線の先にありました。あっ!と思ったら 病院から電話がかかってきました。
「呼吸が止まりそうです」
午後3時33分の事でした。最期に会いに来てくれたようです。
急いで病院に向かいましたが 前の車がなぜかゆっくりと走ります。車が変わりますが それもゆっくりと走ります。「慌てて来なくていいよ」と言っていたようです。車のナンバーが二台とも神様数字でしたから。


途中兄から亡くなったと連絡が入りました。泣きながら病院へ向かっていると 前の車からメッセージをもらいました。とても有り難く感謝の心で一杯になりました。

母の表情は穏やかでした。迷うことなく光となったようで 安心しました。

ある夜 魔女から「お母さんここにいるね 貴女が笑っているのが一番好きだっていってるよ」と母からのメッセージをいただきました。有り難いことで またまた涙がこぼれました。

魔女 松本先生 ジャストスタッフ方々 輪になって祈って下さった皆様 ありがとうございました。魔女っ子の皆さんがいてくれて感謝します。
ジャストスクールに出会ってなければ 私はこの世にいませんでした。今私がこうして生きていられる事に感謝します。皆さんと私の後ろの方々が動いて下さったお陰様です。

母が亡くなったあと ひまわりが来るようになりました。メッセージのようにいつも笑って過ごしていきます。
ありがとうございました。



●神奈川県 N.M様

父 (享年94歳)の逝去に際して ~光としての旅立ちを祈り見守って~

 残暑続くなか、父 94歳は、平成28年9月2日(木)16時、永眠致しました。
実家より歩いて5分の病院でした。
家族に見守られ、眠るように安らかに大往生の昇天でございました。
癌が発覚した昨年11月下旬頃から、魔女には、髙平神社など、幾度となく父の病気平癒と光への旅立ちを祈っていただきました。そして、私自身が父を光として見送るべく、その心構えと術(すべ)をお教えいただき実践しました。その甲斐あってか、父は癌の痛みは全くなく、およそ最期まで意識も頭もしっかりしておりました。肺に転移していましたので、声が出づらく話すことが難しい状態で、最期は呼吸が大変苦しそうでしたが、家族が見守るなか、見えないだろう目を開き、ニコッとなんともいえない慈愛の笑顔で、逝くぞ!と声が聞こえたような・・・
そして、フッと息を吸い込み、息を引き取りました。。。
やせこけた顔ではありましたが、お陰さまで満足げな大変いいお顔で、火葬までほとんど硬直がありませんでした。
大往生であったと思います。有難いことでございます。。。

魔女に見守りいただき、支えていただいて、またジャスト社員皆さま、会員の皆さまにもお力添えをいただき、お陰を持ちまして、父は無事に光のもとへ逝ったようでございます。
魔女、皆さま、本当に有難うございました。心より感謝申し上げます。

「お父さんを光にするのは、あなたの役目です」として、魔女からご指南いただき、私がしたこと、また死に至るまでの軌跡は、まさに私にとりましては、ある意味、奇跡を見せていただくことでもありました。どういうことであったのか、以下にご報告致します。

父は大正10年10月6日生まれ。小柄ではありましたが、人一倍元気で、20歳年上の兄を40歳代に胃癌で亡くしたことから、病気になるまいと人一倍健康には気を遣い、度重なるポリープ切除、80歳を過ぎてからの人口関節の手術など数多の病気を全て乗越え、100歳まで生きることを目標としていました。83歳まで現役で働き、90歳頃まで車を運転し、その後は電動自転車を乗り回し、親戚はじめ皆さんから驚かれるほどの気力と体力の持ち主でした。
趣味も多彩で、庭つくり、盆栽、スキー、ヨガ、お謡(うたい)(観世流)、書道(毎日書道展無鑑査)など、枚挙に暇がありません。。。中でも、お謡は50年近く、書道は30余年続けていました。書道は昨年3月、突然きっぱり止めるとして筆を折り、お謡は、昨年11月の内々の発表会まで続けていました。その発表会のとき私は丁度帰省していて、袴を出してくれとのことで用意して送り出したところ、帰ってきた父の余りの疲労振りにビックリし、点滴が必要なのでは?と姉と相談したのを覚えています。その頃から声がかすれてきて、姉が病院に連れて行ったところ、肺がんであることが分かりました。その時は歳も歳なので、癌治療は止めて自然に任せようと、医者と合意しました。とその矢先、自宅の寝室で転び、背中をひどく打ったようで、痛くてたまらん!ということで救急病院に行ったところ、圧迫骨折と共に大腸癌であることも分かりました。開腹手術や抗癌剤は、高齢の体に負担をかけるだけなので、やめることにしました。しかしながら大腸の患部が狭窄していることで、お通じで苦しまなくてはならないことが明白なので、お尻から内視鏡で腸の幅を広げるステンレス管を入れたほうが良い!やわらかいものしか食べることはできなくなるが、その方が本人は楽になる筈。とのお医者様から説明があり、すぐさまその処置を行ってもらいました。今思えば、そのステンレス管を入れなければ、父はこの9月まで余命が無かったかもしれないのです。転んで背骨を強打しなければ、肺癌とされたまま、病院にまめに通うこともなく、大腸癌で、腸が狭窄していることを知らぬまま、本人はお腹が詰まって大変な思いをしたことでしょう。。。多分、浣腸をかけたくらいでは、解決しない状況に陥ったと思います。
まもなく年末年始休暇、明日で年内の手術関係は終了というギリギリの時に、大腸患部の処置が間に合ったのです。なんとラッキーなことでしょう。転んで本人は大変痛い思いをし、大変かわいそうでしたが、このことで大腸癌を知らせていただき、処置ができたのです。しかも癌は、大腸癌が先で、肺に転移していて、レントゲンに移らないほどの骨粗しょう症になっていたことも分かったのです。80歳代で人口膝関節の手術をした時は、医者からビックリされるくらいに骨が丈夫であったのに。。。
医者からは、持って半年・・桜は見れるかどうか。。。3ヶ月か・・1ヶ月かもしれないし・・・と死を覚悟するように言われました。
そして、歳が明けて1月、この病院から療養型の病院に転院しました。転院できた療養型病院は、自宅から歩いて5分。なんと近くて便利。これも奇跡です。また、父の入院に伴いデイサービス型で入所していた母を特養の方に移設してもらうことにしました。そろそろ特養の方がとケアマネージャーと話をしていた矢先で、主に母を看病していたとする父が入院したことで、特養への移設に直ぐに認可がおり、しかも、母が入所していた上の階の特養エリアにすぐに空きができて、すぐさま、母が特養に入所できることになったのです。これも奇跡です。
また、これら一連の父の腸の処置や母の特養への移設決定や手続きなどが、クリスマス前からお正月明けまでの間に進み、私のちょっと長めの年末年始休暇中に出来たのです。
これも奇跡です。

<魔女からヒーラーとして伝授いただいた実践内容>
父の余命が限られていることを医者から宣告されたことで魔女はことある度に、あれやこれやと父を思いやって下さいました。
① 私が光に送るというヒーラーとしての覚悟をすること。
② 父へヒーリングをすること。
③ 祈ること。
④ 父に光に向かって迷わず逝くこと。今度はあなたが光になって子どもである私たちを天で守ること。そして私たちが天に昇る時は迎えに来てね。ということを伝えること。
などです。

<魔女からの伝授に基づき、ヒーラーとしての自覚のもとに実施したこと>
6年前から痴呆症の母のこともあり、1ヶ月に一度、土日を利用して帰省していましたが、癌と分かって毎週、5月の連休からは1週置きに帰省しました。お昼前までに帰省し、およそ毎日、昼に父を見守り世話をしている姉に代わって、帰省の日は私が病院へ行きました。
最初は、病院ということもありなかなかヒーリングのタイミングが掴めず実施できなかったので、マジョリモ入りクリームのマッサージが多い状態でした。

◇帰省時に、ヒーラーとして病院で行ったこと
① マジョリモ入りクリームでの顔、手足のマッサージ。
② 軽いヒーリング。
③ アロマのフランキンセンスをアルコールで希釈し、ベッドの周りに撒きました。
*これは、姉にもしてもらいました(姉は消毒と思っていたのですが)。
④ ベッドの4隅に光の柱を建てて、光で父を包むイメージをして、結界を張りました。

父に「お父さん、お母さん(私にとっては祖父祖母)が、何か、お父さんに言っていない?」
と聞いてみると、「別にない。」という答えが返ってきていましたが、次第に、眠りながら、ウンウンと頷いていることが多くなりました。また、何かが見えているようで、目の前をこれは何だ?というようにキョロキョロ見ている時がありました。
ご先祖様や何かがお出ましになって、何かを父に伝えていたのではないかと思われます。

いつも父へは、「有難う。お父さんの娘で良かった。お父さんのことを、姉も義兄も姪も甥もその子どもたちも皆、大好きだよ。感謝してるよ。
お父さんのお陰で幸せだったよ。」「お父さんの人生は素晴らしい。ほんとに凄かったよ。
お父さんはとっても幸せな人生だったよ。」「幸せないい夢を一杯見てね。」などと耳元で伝えました。

顔、手足を擦ったり、抱きしめたり、頬を寄せたりとスキンシップもしました。
7月に入り、食事の後、新聞を読むことなく、すぐ眠るようになってきた父の耳元で、
「光が見えたら、迷わず躊躇することなく、光に向かって進んでね。」そして、「天上で私たちを見守ってね。私たちが光に帰るときにお父さんが迎えにきてね。」とやっと2~3回伝えました。父は、目を閉じたままウンウンと頷いていました。
この頃から魔女からの伝授の言葉を、やっと父に伝えられるようになりました。

◇実家で行ったこと
父は、実家の自分の寝室に、父の両親や亡くなった兄や姉たちの写真を額に入れて飾っていました。お正月頃から、この額の写真を仏壇と思い、お茶、お水、お菓子などをあげて、先祖の皆さまへの心からの感謝を申し上げ、先祖の皆様の幸せと父のことを祈りました。
神棚にも心からの感謝と祈りを奉げました。この祈りの時は、いつも号泣でした。
祈り(願い)はこのような内容でした。
① 父・母・老齢の親族がそちら(光)へ帰る時は、必ず明るく皆さんでお迎えに来ていただき、光に連れていっていただくように。
② 光に帰るその時には、家族全員でお見送りが出来るように。
③ 癌の痛みが無いように。
特に6月頃からは、痛々しい姿で光に帰らないように。三次元での肉体と思えないようなかわいそうなことにならないようになさって下さいと祈りました。
④ 父が光になる時がきたら、早めに必ず教えてください。
⑤ 家族が仲良く、明るく安全安心健康で豊かに暮らせますように。
⑥ 実家の敷地の四柱に光を張りました。

◇父への祈り
①光になる覚悟ができたら必ず教えてくださいね。
②天上界で私たちを見守って下さいね。
③私たちが天上界へ逝くときが来たら、必ず迎えに来て下さいね。

◇生活のなかでの祈り
①延命十句観音経を唱えた。(魔女からも原文をいただきました)
② ご先祖さま、両親へのお詫びと感謝。
③大いなる方々へ、父の癌の痛みが無いように。
④父が安らかに光になりますように。
⑤ ご先祖様が父を光でお迎えに来ていただけるように。
⑥ 家族で父を光にお見送りできるように。

<そして起こった奇跡> *前述と重複しますが記載します。
① 癌の痛みが全くなかったこと。モルヒネを打ちませんでした。
② 自宅で転んで背中を圧迫骨折して痛い思いをしましたが、そのお陰様でそもそも大腸癌であったことが分かり、大腸癌患部にステンレス管を挿入でき、詰まりによる苦しみや圧迫、最悪の開腹手術を回避できました。しかも、病院が年末休暇に入るギリギリセーフで、この処置に間に合いました。歳を越していたら、更なる体力低下に繋がったことと思います。
③ 母がこのタイミングで、すぐに特養に入所できました。入所して、精神的に落ち着きました。
④ これら一連の父の大腸癌への処置や母の特養への移設決定、そしてそれらの手続きなどが、クリスマス前からお正月明けまでの間に進み、私のちょっと長めの年末年始休暇中に姉と一緒に出来たこと。
⑤ 1月に、実家から歩いて5分の療養型病院へ転院できました。完全看護で、お風呂にも入れていただけるし、着替えや髭剃りまでしてもらえます。食事も美味しい。そういう環境へ移ることができたこと。
⑥ およそ9ヶ月の癌闘病生活の中で、最期まで父の意識、頭がしっかりしていたこと。
⑦ 8月上旬まで自力でベッドに起き上がり、なんとか自力で食事をし、自力で排泄をしていたこと。
⑧ 旅立ちの前、8月お盆過ぎ頃、私の頭の中に、「逝くから」という父の声が聞こえました。私には、現実としてなかなか捉えることはできませんでしたが。。。
⑨ 旅立ちの前に同じくお盆の頃、父は姉に何か訴えました。声がかなり聞き取り難かったので、姉がここに書いてとメモをわたしたところ、父はなんとか力を振り絞って「(母の名前)○○○・・・・」云々と書いたのですが、姉には母の名前しか読み取ることができず、「母は元気だ」とメモにして見せたのだそうです。葬儀後、家族で家に帰り、そのことを思い出した姉がそのメモを皆に見せて、姪、甥が解読したところ、「(母の名前) 屋上の方への旅」と記されていたことが分かりました。母に「自分は、天に逝く」と伝えて欲しいということだったのです。父は、自分の死期が分かっていたこと。
⑩ 亡くなる前日、9月1日(木)の午前、血圧が下がったと病院から姉に連絡が入り、姉から電話をもらいました。帰る時期かと躊躇しましたが、上司から帰ったらと言葉をいただき、意を決して帰りました。16時に山形に着き、病室へ。呼吸が苦しそうで、もう目を開かない父の耳元で、「私だよ、帰ってきたからね。甥はもう直ぐ来るよ。姪たちは土曜日の朝、帰ってくるよ。」と伝えると、頷く父。父の手を握り顔や足を暖め、胸に光を送りました。すると、血圧が戻り安定してきたのです。父は、待っていてくれたのです。看護士さんが、「容態が安定しているようなので、今夜はお帰りになっても大丈夫ですよ。」と仰ってくれたのですが、姉・義兄と相談して、私一人が念のためということで、家族室に泊まる事になりました。
一晩明けて、2日(金)の午前中も容態が安定。看護婦士も大丈夫だからとして、姉と交代して、実家に帰りました。この間、もしものことを考え、姉の懸念で、父のお骨が実家に帰ってきたときに安置するための部屋の大掃除をしました。
終わって家族で昼食を取り、一息ついた14時過ぎ、病院から父の呼吸が乱れていると連絡が入りました。慌てて病院へ。そこには、父の甥ご夫妻が訪ねてきてくれていて、父はその甥の手をギュッと握り、話しかける言葉に頷いていました。父の甥ご夫妻が帰られた後、父の手を握りながら一杯声をかけました。家族がいることを確認した父の手は次第に力が入らなくなり、冷たくなりました。そして16時、永眠しました。
絶妙なタイミングです。父の実家のことを甥ご夫妻に託し、お骨が帰る部屋の掃除の時間をつくり、家族が揃ったところで、息を引き取ったのです。
姪と子どもたちは、臨終に間に合いませんでしたが、ホーチミンから帰国し、自分のお通夜、葬儀には間に合い、ホーチミンに戻るまで、少しゆっくりできる時間を姪に残したのです。臨終に間に合わなかったことを姪は悲しみましたが、決してそうではないことを姪に説き、日を追うに連れてそうであったことを理解していきました。
全てが絶妙のタイミングでした。
⑪ 臨終近く、それまで感情を表さなかった義兄が、「お父さん、しっかり・・」と父の手を握り泣き崩れたこと。
⑫ 私が「光へ・・・」と父へ言う言葉をいぶかしがっていた姉が、最期には、父の耳元で「光に向かって行くんだって。分かった?」と大声で言っていたこと。
⑬ 魔女から、8月長野でのセミナー後に電話をいただき、「お父さんの乗る船の準備が出来たよ」と言っていただいたこと。
⑭ 父の臨終の頃、魔女はイギリスの空に鳩がパーッと舞うのを見て、光になったことを感得されていたこと。
⑮ 姪も甥も自分のすべきことをしっかりできたこと。
⑯ 姪と甥の子どもたちも、父の葬儀中は、おとなしく静かに見守れたこと。
⑰ 父のお顔の表情は安らぎに満ちていました。遺体はとても綺麗で、体こそ痩せこけてしまっていましたが、胸の皮膚は真っ白で、ピカピカツルツルだったこと。癌とは思えません。
納棺のお清めの前に、綺麗好きの父であったので、耳や鼻、足指などをアロマで拭いて清めました。遺体であっても父と思うと愛おしいと思いました。
⑱ 88歳米寿の時の、写真館で無料撮影してくれた記念写真が、遺影と成ったこと。
ちゃんと父は用意していました。しかも、笑顔なので、その遺影に語りかけると、全てを許して包み込んでくれるような気がします。皆さんからいい写真だと褒めていただきました。
⑲ 病室で眠るなか、父は自分の一生を振り返り、様々なことを思い、徳を積むことができ、自分の一生に満足、納得して、もう思い残すことは無いと思ったのではないでしょうか。。。
有難いことです。
なんとか、母に合わせてあげたかったのですが。。。きっと、魂で会いに行くと思います。。。
⑳ 高齢での葬儀にもかかわらず、多くの方々にご出席いただいたこと。有難いことです。

このように、なんとか願い通りに父を看取ることが出来ました。
大変長文になりまして、恐縮でした。
私にできたことは、ほんの少しでした。
家族がいてくれて、一緒に協力して見送ることができました。
思えば、父は体力知力のギリギリまで健常で暮らし、もうダメかも~というところで入院し、
父なりの人生のけじめ、人としての在り様を私たちに示してくれたのだと思います。
有難いことです。これを受け取り、私はしっかり生きていかねばと改めて決心致しました。

魔女に勇気をいただき、見守っていただき、そして、ジャストの皆さん、一緒にセミナーを受講している皆さんに、暖かい言葉やご厚情をいただき、皆さまが傍にいてくださって、どんなにか心強かったことか。多少ヒーラーとして父を看取ることができましたことを、心から感謝申し上げます。有難うございました。

本来であれば、このお月見セミナーに参加し、直接御礼申し上げなくてはいけないところ、
書面になりましたことをお詫び申し上げます。
お月見の宴、セミナーがご盛会であります様に。

これからも、どうぞご厚誼いただきますようお願い申し上げます。

御礼にかえまして、ご報告致します。

以上



●熊本市 A.M 様の実体験 
 夫が会社の健康診断で再検査の通知をもらってきたのは、ちょうど高平神社のお月見の舞の練習が始まった頃、昨年の9月半ばのことでした。私は心配で正直舞の練習などできる状態ではありませんでしたが、魔女との1年前からの約束でしたし、そのころトランプで、約束、約束、と続けざまに出ていたこともあり、とにかく、この約束だけは守ろうと舞の練習に出かけていきました。その舞の奉納が終わった直後に夫は再検査を受け、結果は肺がん。それもリンパ節転移のあるステージⅢでした。夫は一年前にも人間ドックで不安定狭心症が見つかり、ステントを入れる治療をしたばかりでした。当然毎月通院しておりましたし、半年前には胸部CTもとっていたので、こんなことが起ころうとは夢にも思っていませんでした。呆然とする夫を見て、とりあえず私がしっかりしなくてはと思い、どうにかして夫の気持ちだけでも楽にしてやりたいと思った時、ちょうど魔女のヒーリングの枠があったことを思い出しました。藁をもつかむ思いで魔女に電話しました。

相性の良い医者を選ぶように、そして、あなたが元気でいないとだめだよ。と言われました。そして夫は1枠あったヒーリングを受けることとなり、夫を待つ間なにげに魔女の作ったおみくじを引いて中を開けると、困ったことは宇宙試験ですよと書いてあったのです。

本当に、さーっと鳥肌がたったのを覚えています。私は覚悟を決めました。
もしこれが本当に宇宙試験だったら、神様はまだ夫()を助けて下さるおつもりがあるはずだと・・・
それから私はジャストのすべての講座に申込み、魔女の言葉を一言も聞き漏らすまいと必死に通い続けました。

そのころ、朝起きてふと浮かんできた言葉が、とうとがなしです。奄美の言葉で

感謝して祈るという意味だそうです。初めは、その言葉の意味すらよく知りません

でしたが、夫と話し合い、毎日自分の体に感謝し、平穏無事に過ごせたことを感謝して

寝ることを約束しました。

 リンパ節転移があり、手術ができなかった夫に勧められた治療は、抗がん剤と放射線治療でした。がんの治療にはたくさんの方法があり、他にも親切に教えて下さる方もありましたが、どれもこれという確信がもてるものではなく不安が募るばかりで、済生会病院で勧められる治療をそのまま受ける決心をしました。

治療は、月1回の抗がん剤の点滴とあわせて、飲み薬の抗がん剤の2週間の服用、それと並行して、放射線11回を計30回の照射です。夫と毎日毎日車で病院に通う車中、あわのうたを歌いました。本当にこのあわのうたに救われました。1人で車を運転しているときも言いようのない不安にかられることもありましたが、あわのうたを歌うことでなんとか乗り切れたような気がします。夫もまた、治療の際は自分の体に感謝し、あわのうたを歌っていたようです。

こうして、治療に通いながらも、本当にここで良いのだろうかと、迷うことも何度もありました。そんな時に、最初に私を導いてくれたのが、33の数字でした。車で病院に通っていると、何となく33のナンバーの車が寄ってくるような気がするのです。駐車場に止めると、後ろの車は、3333しかもピンクのリボンつき!!

そんなことでここでいいのかしらと漠然と思えるようになりました。そうして過ごしているとすこしづつ良いことが起こるようになりました。1万円の宝くじが当たったり、スピリチュアルの苦手な夫にもわかる形での色々な励ましもありました。魔女が言うとおりに細胞再生の儀式をやっていたおかげか治療の副作用も軽く、ほとんど髪の毛も抜けることもありませんでした。

何も悪いことは起きていない。これでいいんだ。と自分に言い聞かせ、夫は月1回のヒーリングを受け続けました。

そんな時、次に来たキーワードがでした。トランプでふたをあけるがでるのです。ふたをあける?魔女の言葉神様の言葉はとてもシンプルを思い出し、かたっぱしからふたをあけました。ふと目に入って前日に買ったくまのクッキーの箱を開けると、旭山動物園のホッキョクグマのピリカの絵が入っていました。ピリカ?アイヌ語?アイヌは魔女のキーワードとシンクロです。調べるときれい、美しい、治る、よくなるこれだ!!涙があふれてきました。これが私に初めて来た大丈夫だよのメッセージでした。

私には、こんな温かいメッセージ、そしてジャストに行けば、魔女や松本さんはじめスタッフの方々との他愛のないおしゃべりで病気のことを忘れ、リラックスする場所がありましたが、夫はひとりで自宅近くの江津湖公園に毎日出かけていき、丹田呼吸法、気穴浄化法、そして、自分で考えたストレッチや筋トレをやり、自分の体と向き合っておりました。つらかったと思いますが、つらい、痛いとは一言も言いませんでした。

こうして治療を続けていると、ある日、主治医の先生からリンパ節の転移が消えたら手術を考えてもよいかもしれませんね。と言われたのです。夫の顔色がぱっと明るくなるのがわかりました。でも、私は逆に複雑でした。手術ではないと思っていたからです。

切らずになおすというメッセージもきていましたし、魔女が何度も何度も繰り返し大魔女のがんの治療について、手術しなかったらもっと生きられたと思うと言っていた意味を考えた時、これは手術してはいけないと思いました。でも、夫を説得できるだろうかとそんなことばかり考えていた時です。ジャストからの帰り道、たまにはあわのうたでなく元気の出る歌をと思い、車のHDDをさわっているとトラック№33の数字。これでいいやと思って聞いた曲が大好きな小田和正さんの「キラキラ」でした。

 ゆらゆらゆら心は揺れる キラキラキラ時は輝いている

 今もう一度約束する 決して君のことを裏切らない

 遠くに見えるその夢をまだあきらめないで

 必ずそこまでつれてゆくから

私は車の中で泣きました。神様は私の心をお見通しです。助けてくださるんだと思いました。それも大好きな小田さんの曲を使って私にお知らせくださいました。

これが、3番目のメッセージでした。

 12月に入り放射線照射の予定の30回が終わり、抗がん剤の治療も2回目が終わりました。そして、CTとPETの検査をすることになりました。するとなんと2か所のリンパ節転移が消え、元々の部分も半分以下になっていました。とてもうれしい結果でしたが、ここで手術の話がもちあがってきたのです。

この頃気になっていたのがツバメでした。何度も何度もツバメの絵のついた服を見たり、ついには家の周りをツバメが飛びはじめました。なんで今頃ツバメ?と思い、気になっている頃に魔女がブログで親指姫と言い出しました。

そして、夫婦で呼吸器外科の部長先生の手術に関する話を聞くことになりました。
内容は、

  手術には大変なリスクがある(放射線治療をしているので)

  根治をめざすには手術しかない

  大きなリスクがあるので決断は家族でしてほしい

  決断されたからには全力をつくします

  移っている影が焼け焦げ(放射線治療の)という可能性もある

ということでした。焼け焦げ?冗談じゃない。焼け焦げかもしれないのにそんなリスクを冒して手術をするなんて・・・

夫は手術をすると言いました。私はしてはならないと思いました。放射線科の先生にも医者である夫の友人にも相談に行きました。でも皆口をそろえて根治するには手術しかないと言うのです。

私は正直「ここで梯子をはずすのか」と思いました。

ここで初めて魔女に、師匠である魔女に泣いて電話しました。魔女は、「どんな道を通っても結局たどりつくところは一緒だよ。」と言いました。私が魔女に求めていた答えは

たぶん絶対手術してはだめだよ。説得しなさいだったのだと思いますが、実際はちがうもので、その時はその意味すら考える余裕もなく、正直がっかりしたことをおぼえています。

その後も夫と話し合いましたが、結局平行線で、翌日もう一度、主治医の先生にお話を聞きに行くことにしました。

すると、主治医の先生が、こちらから尋ねる前に、呼吸器外科の部長先生が、今日の朝呼び止められて、もう1度抗がん剤の治療を予定通り受けてからでも手術は遅くないかもしれないと言われたとのことでした。

親指姫の救世主だと思いました。この後、もう一度医者である夫の友人にも相談をしましたが、日本で3本の指に入る呼吸器外科の部長先生がそういわれるならそうした方がいいと思うよということでした。やった!!2人目の救世主です。この時初めてぼんやりだった助かる、治るというメッセージが確信に変わったような気がしました。

それからの私は今までにも増してジャストに意気揚々と通い始めたように思います。

ありがたいことにジャストに通う日は夫の体調も上がってくるのです。年が明けて初めてのまゆつばさ劇団公演のときには、亡くなった父が作ってくれていた着物まで着ることにしました。そして夫と20年ぶりに写真館で写真も撮りました。そして、暮れから気になっていた厳島神社になんと魔女のツアーで参加することになったのです。

私の中にはすでに確信がありましたし、行くことが神様との約束のような気がしました。

 平和公園で胎内被爆者の方の貴重なお話を聞き、たくさんの人たちの尊い命が犠牲になったこと、でもその一方で夫がその放射線の治療を受け、効果が上がっていることを考えた時、とても複雑な思いがしましたが、私がここにきてたくさんの御霊が安らかであらんことを祈る意味が分かった気がしました。そして厳島では、ツアー参加者のみなさんに誕生日をお祝いしていただき最高の一日となりました。魔女とジャストのスタッフのみなさんの心遣いに感謝します。

そして、翌日の弥山で下山途中にあった晶洞の看板に強く心をひかれたのです。

晶洞の晶は私の名前の1文字です。急いで下山していたのでよく見ることができませんでしたが、帰宅してから調べると、岩石鉱脈などの内部の空洞と書いてありました。そして読み進んでいくと関連ワードの中に肺空洞の文字があるのです。気になってそれをタップすると肺結核、肺がんなどで病巣が壊死に陥った結果生じた空洞とでているではありませんか。私はこれを見るために弥山に登ったのだと思いました。何の根拠もありませんが、そう思いました。

 そして、4回目の抗がん剤治療が終わり、3月の初めにもう一度PET検査を受けてから手術の判断をすることになりました。

するとなんと治療の痕跡はあるものの、異常集積はみとめられない。との結果がでたのです。ここで、手術をする意味はない。ここで、手術をして病理検査をしてもがん細胞は見える範囲では検出できないほどのレベルです。と言われました。

 結局私たちは何の選択もしませんでした。悩み、苦しみ、涙も流しましたが、手術の方にいこうとしても、神様が軌道修正してくださり皆が納得した形で治療を終えることができました。私たちがしたことは神様を信じ、自分の体に感謝し、1日が平穏無事に終わったことを毎日感謝してその日その日を一生懸命に生きてきただけです。そしてもうひとつ言えることは父の死で学んだこと治療に際して疑問に思ったことはとことん納得するまで聞くということを貫きました。それができる主治医の先生と出会えたことも運がよかったのだと思います。

そしてなんといっても魔女が受け取ってくれたキーワードとシンクロする自分のキーワードを道しるべにやってきたからこそ、ここまでこれたのだと思います。

魔女が言っていたことを思い出します。

『神様のメッセージがなければ暗い道を目をつぶって歩いているようなものだ』と

神様のメッセージがあったからこそ、その光のさす方へ歩いてゆけばよかったのです。

本当に、宇宙真理を勉強する機会があってよかった。

そして、魔女と出会えてよかった。ありがとう。


●東京都 小松惠子 様
 松本様、4日メールをありがとうございました。折り返し電話しましたら緒方様がでられまして、魔女先生に代わっていただき話ができました。
御礼と報告がちっともできず申し訳ありません。
目が疲れたり、立つのが長くても腰が痛くなり、足がつったり、座るのが長くても立ち上がった時お腹の傷が痛む、少し文章書いては止め、翌日また少し、でちっとも進まず…早く退院したのでやはり体も扱いづらく、モタモタしています。
夕方以降は痛み強くなったり熱上がったり。
1ヶ月頑張ってくれたひろみが足首痛め、疲れひどく二週間近く寝込み、私も台所に立ちましたが腰から足までつりそうになって痛くて、といろいろなこと起きます。
普段、体全体がいかに良く動いてくれているか、です。
でもだんだん元気になっております。声がしっかりしてきたと言われます。

このたびは、魔女先生はじめスタッフの皆様、熊本、東京の会員の皆様そして家族の祈り、ガンじゃない、大丈夫という信念が私を包み込んで守られたとわかります。
高平神社でも東京でも祈ってくださり感謝申し上げます。

はじめの病院の予定では石を拾う処置は後で、手術が先でしたが、急に連絡きて逆になり、そのおかげで魔女先生が東京にいらっしゃる時手術となりました。
魔女先生と気功の皆様にパワーを送っていただけました。
この方が体の負担が少ないと、内科と外科で相談してくれたそうです。
こういう変更が突然起きる、これが神業と思いました。
手術の少し前、根本さんメールくださって「症状は絶対軽いよ。医者もびっくりだよ」と書かれていて、私もなんの疑いもなくさすが高級巫女!とすんなり受け入れられて、結果はその通りでした!
大崎様も9月10月私にエネルギーを送ってくださって「たいしたことあらへんでー」と何度もおっしゃって、二人もそんな風に言う方がいることは嬉しいことでした。
普通は、無責任なようで言えませんよね。
でもお二人にはわかっていたんですね…これも神業、奇跡ですよね!
魔女先生にお話したら「おー、そんなこと言ったの!さすが私のそばに長くいる人はちがう、凄い!」と感心されました。私もお二人の言葉をすんなり受け入れられた、何の疑問もなく。
医者は最初からガンと診断したほどの胆嚢の状態でしたが、私もガンと思わずにいられました。
ガンではなくても、胆嚢取って肝臓一部取って、7、8時間の手術、ガンだったらあれ取り、これ取り、になるだろうから15、6時間の難しい手術、入院3ヶ月という話でした。
それ程ひどい映像だったのです。
9月10月は、何がそんなに恐いのか、胸にわきあがる灰色の雲のような不安感、どこからくるんだろうと思いました。
カード引いても瞑想しても気持ちが不安定だからだめです。
情けないと思いました。でもそんな自分をさらけ出して、先生の前で泣き、石を拾う処置の前も、医者に、大きめの胃カメラなんか飲めませんと言いました。
この弱さ、魔女先生の講座に来てちょうど二年、私、形を真似してるだけで何も進歩してないと思いました。
でも魔女先生の励ましの言葉、松本様のメール、皆様のおかげで落ち着いてゆきました。
手術は腕の良い医者に出会うかが大事と言われ、神様にお願いすると言いましたら、上の娘が「良い医者にやってもらえるってもう決まっている、祈らなくても大丈夫」なんて言うのです。
下の娘も「なぜかわからないけど、お母さん大丈夫って確信できる」と言います。
それで私は頼みごとするのでなく、すべて最善に整えてくださってありがとうございますと御礼を言いました。
入院したら私の担当はAチーム、ええチームだわ、執刀医はイケメンで、若い医者達もハンサム揃い、明るくテキパキとした良いチームでラッキーと思う余裕も出てきました。
三週間の予定を10日で退院しても良いと言われ、熱はまだ高く、足のむくみも引かず、排泄に苦労していたのでとても迷いましたが、思い切って退院しました。家にいるとついつい動いてしまう、その方が回復早いと言われ、帰ったとたんその意味よくわかった、畳の生活なのでつかまるところがなくて立ち上がれない、早速お腹押さえながら片付けして、寝る位置を壁際に変えなくてはならないことに…毎日どんどん良くなるかと思っていたけど、そうもいきません。でも19日には出席したく思っています。
9月頃は、何故今なんだろうとよく考えました。
肉体的には、私が体への配慮無く働いてきて、無理を全て胆嚢に負わせてきて、胆嚢さんにはひどいことをしてきて、持ちこたえたのは魔女先生のヒーリングのおかげで、同じ方向を目指す仲間ができて、だから今なんだとわかりました。
「お母さん、実験台だったんじゃない?」と娘が言ったのが不思議です。
皆さんと私とで宇宙試験に合格したんじゃないでしょうか?
私は、周りの人達みーんな、ガンじゃないよとおっしゃるのが、慰めなんかじゃなく本気だとわかり、信じ切ることできて、気功の皆さんは、祈りや想いに力あることに自信を持てる機会になりました。
奄美でのこと思い出されます。魔女先生がキーワードを3つ見つけなさいとおっしゃって、私に来たのは、「宇宙小学校」「卒業」「天の穴もボヤボヤしてると閉じる」というのでした。
今回、私達は宇宙小学校を卒業できたのかも。
さらに、魔女先生がヒーリングしてくださった時、「奄美で見聞きしたこと、東京に帰ってから意味が解る」「試されることもおきる」と。
ちょっと気になって同じようなこと言われた人がいるか聞いてみましたが、私だけ。
根本さんが、「小松さんには必要なのよ」と。これがそうでしょうか?

また、私は、胆嚢を残すことできないものか悩んでいました。
胆石があると胆嚢を取ってしまうのが当たり前ですが、フーチーをしてみると胆嚢さんの返事は「残る」とでるのです。
ひどい状態の胆嚢を残せるとは普通考えたら有り得ないことです。
私の気持ちが落ち着かないから正しい答が出ないのだわ、と諦めつつも、民間療法も調べ、林檎とグレープフルーツを毎日食べたりもし、魔女先生がトマトジュレと書いてくださったのですぐ紀伊国屋に行きましたが、時期が終わりと言われ、でもザ・ガーデンで最後の7つを買うことできました。
緑のワイングラスを使う祈りの儀式も、すぐ緑のガラスコップ買って帰り、始めましたが、20代にガラス工芸作家の個展にフラリと入り、気にいって買ったワイングラスらしき物のことを突然思い出し、「普段開けない所」を探したら、なんと薄いグリーンのワイングラスが!
毎晩儀式をして祈りました。

この頃、魔女先生は病の私に向けたメールをよく書いてくださっていて、ありがたく思い実行していました。
私も温灸を受けたり、手術までの短い間に良いと思われることいろいろしました。
私を守る為に、ジャストの皆様、友人、知人、家族の応援がギュウギュウで、切羽詰まってバタバタやることが良いのかしら、苦しくなっての神頼みは自分勝手よね、
神様あきれてるかも…と思ったりもしましたが、神様は気持ちを受け止めて、状況を変えていってくださったと思います。

終わってみれば胆嚢は一部取られましたが、残っていたのです!
胆嚢さんが残るよと言ってくれたのはホントでした、
有り得ないこと起きて、これが一番の驚きだったかも。

9月10月検査のたび、どの医者もガンと言いましたが、手術の前日になって、執刀医のイケメン先生が「私は、個人的にはガンじゃないんじゃないかと思うんですよね」とおっしゃったのです。
これも奇跡的な言葉に聞こえました。
おもいは叶う、神様はちゃんとしてくださる、奇跡は起きる!

ここに再度御礼を記しておきたく…魔女先生、ずっと気にかけてくださって、船井フォーラムでもヒーリングしてくださってありがとうございます。
松本様、励ましのメールを何度もありがとうございます。
ジャストのスタッフの皆様、熊本つきつきの皆様、祈りをありがとうございます。
小泉様、9月10月ヒーリングしてくださってありがとうございます。
大崎様、9月10月パワー入れてくださって、たいしたことあらへんと予言してくださってありがとうございます。
根本様、私には大きな神様がついている、症状はすごく軽いよと予言してくださってありがとうございます。
お二人の予言通りでした。
斉藤様、酵素を病院まで届けてくださってありがとうございます。
しっかりいただきました。
宮脇様、神様に守られているとのメール、ありがとうございます。
麻布で祈ってくださった気功の皆様、ありがとうございます。
皆様には力があります。
とってもひどく見えた胆嚢もひどくなく、手術もたった三時間、妹はあまり早くポケットベルが鳴ったので、大変な事態が起きたかとギョッとして手術室前に飛んで戻ったようです。
嬉しい驚きでした。

皆様に、ありがとうを100万回x∞です。   小松恵子 2015・12・15


●東京都在住 K様(男性)
先日のラッキィーな旅行をご報告させていただきます。
4月に魔女のヒーリングと龍雲先生のセッションを受けたとき、旅行に行くといいよと教えていただきました。私は事業と子育てに振りまわされて、個人で旅行には二十年ぶりぐらい行っておりません。ただ、その頃私は時間は自由になるので、すなおに旅行に行こうと思い屋久島に5/18から行くことにしました。ちょうど前々日にヒーリングを、前日に瞑想講座を受けさせていただきました。
屋久島で瞑想ができればいいなと思って行きました。ほとんど前知識を持たずに向かいましたが、とても雨の多い島で、天気予報もあまりよくない状態だということでした。
まず島に着いて、旅館に到着すると三泊の予定でしたが、三泊目に部屋を別の部屋に変わってくださいといわれました。別段男の一人旅でしたので、どうでも良かったのでいいですよと言っておきました。そして、翌日と翌々日のトレッキングのためにお弁当の準備をお願いしておきました。夕食のとき結構料理が出たんですが、行きのタクシーで運転手さんが、首折れの鯖がおいしいけどお客さんの宿では無理かなっと言っていたのを思い出し、フロントでお願いしてみました。
夜、ふと宿のバーで飲んでいる人がいたので私もバーで飲み始めたところ、しばらくして、支配人が来て部屋を替わってもらったので、ここの飲み代と、首折れ鯖は特別料理で無料で準備してくれるといってくれました。さらに旅行中の御弁当や飲み代もすべて無料にするといってもらいました。あまり無料ばかりだと気がひけるので、ほどほどにしましょうということにして楽しく飲ませていただきました。
二日目は朝から大雨で、もののけ姫のモデルになった白谷雲水峡に、私を含め6人とTさんというガイドさんに連れて行ってもらいました。現場に着くとほとんど雨も小降りになっていました、実は雨の後のほうがコケの元気がよいと教えてもらいました。このルートは鹿はたくさんいるけど、サルは100回に一回ぐらいしか会えないということでしたがあっさりサルとも遭遇し、もののけ姫の森の頃には完全に雨も上がり、のんびり野外で食事もできました。(雨上がりが一番よいそうです)
この森はとても神秘的な場所でした。帰りがけ’この二三か月、鹿児島の開聞岳が見えない’と行きにガイドさんが言っているのを思い出し、ふと見ると遠くに山が見えたので、ガイドさんがびっくりして珍しいことがあるものだといっていました。
三日目は本来は女性のガイドさんの予定でしたが、急遽元漁師のSさんというガイドさんが私を含め6人を縄文杉に案内してくれました。この日は天気も安定していて快適にしかも予報は悪かったせいかとても空いている状況でトレッキングできました。しきりにガイドさんが’今日は運がいい’といっていました。普段見えない山が見えたりしたそうでしたが、始めてくる所なので私には解りません。途中の杉木はとても立派でしたが特に大王杉は強い木でした。縄文杉は神聖な透き通った感じがしました。たくさんの良い気をいただきました。帰りも快適に帰れましたが、ガイドさんが’この中によほど何かを持っている人がいる’と言っていました。山から旅館に戻る途中の車の中で、ガイドさんが44才のときに漁師からガイドになったこと、
仕事を変えたときはあせりやすいけどゆっくりやるほうが良いと言ってくれました。
実は私(45歳)も職業を変えるところで翌週から新しい職場で勤める予定でしたので最高のアドバイスになりました。そしてそのことを教えてくれるために女性のガイドさんからSさんに代わったんだなと思いました。
四日目は朝4時ごろから近所の益救(やく)神社にお参りし、日の出を見て、瞑想をしてみました。
ふともののけの姫にもう一度行きたくなり急遽バスで行くことにしました。この日は特に空いていて、何処も貸しきり状態でゆっくりすごすことができました。戻る途中知らないガイドさんが私がシャツ姿なのにびっくりして、このあたり以外は大雨だと教えてくれました。私は運がいいと思いながら、川原で瞑想したりしながらバス停に戻るとちょうどバスが来て旅館に戻りました。
タクシーで空港に向かうと大雨で運転手さんが、今日の午後一の飛行機は運休になったことを教えてくれました。そして私は最終便の予定でしたが’その便は危ない’と言っていました。でもふと見ると虹が出ていましたので、’神様が心配するな’と言っている気がして、勝手に安心してしまいました。安心していたのですが、私が乗る飛行機が鹿児島から着ません。今度は鹿児島空港が雷雨で様子見と言うことになりました。結局一時間半遅れで、しかもかなり揺れるという事で大雨の中、出発しました。ところが飛行機はぜんぜん揺れず、鹿児島空港はよい天気でした。しかも私が乗る予定の飛行機が遅れて結局飛行機に乗れました。
羽田からもすいすいとつながり最後の乗り換えの終電三分前に着きました。帰って財布の中を見たら残り180円でした。予備に金を入れておきましたが、’財布のお金はすべて使えればいいな’と思っていたのでびっくりしました。
’これでもか’と言うほどに楽しませていただいた旅行でした。魔女のパワーが良く効きました。
ありがとうございました。勝手な報告で済みません。
ラッキーばかりのKより


●東京都在住 K様(女性)
吉尾先生にご報告したい近況です。先生のヒーリングを受けてから、体の芯といいますか、心の芯が温まったように感じています。朝がとても苦手でしたが、目覚ましのなるずい分前に自ら目が覚めるようになりました。家事も楽しく感じますし、毎日が何だか嬉しくていろいろな人に感謝の気持ちで生活しています。
シンクロというのでしょうかそれが頻繁に起こります。小さなことでは、子供と電車で一時間の所へ通っているのですが、電車に二回乗り換えて行きますが、乗継がスムーズであったり、途中子供がトイレへ行っても慌てず叱らず済ませても、なぜか遅刻しないで間に合ってしまったりします。とてもゆったりした母でいられます。大丈夫。という心から思うことって大事だなぁ。と感じています。
先日は、実母と食育の講演会を読売ホールに聴きに行きました。母は新幹線でやってきました。講演会は指定席なので現地集合の予定でしたが、山手線に私が乗っていると、同じ電車、同じドアから母が入ってきたのです。山手線はひっきりなしに来ますし、平行している京浜東北線どちらも乗れます。同じ電車でも沢山ドアがあります。にもかかわらず、たまたまきた同じ電車に同じドアからお互いが乗ったら、あったのです。
それから、お友達に船井さんのにんげんくらぶの冊子をいただきました。我が家でお茶を飲みながら、船井さんの話やその冊子を編集している秘書の児玉さんにも話が及び、若い方なのに凄い方ね。と話をしていました。翌日、参加した講演会でペアを組んだ方が何と児玉さんだったのです。鳥肌が立ちました。
こんな状況です。変わってきている・・。とじわじわ感じてきています。
子供に対し、ひどく怒ってしまったりして、先生に作っていただいたバリヤーにひびがはいっていると思うのですが、また今月のヒーリングを楽しみにして、自分でも努力をして先生にお会いしたいと思います。
先生にお会いできてよかったです。本当に感謝しています。

●東京都在住 S様(女性)
ヒーリングありがとうございました。当日は台風が来ていてすごい雨でした。革靴を履いていた私は、途中長靴を買い履き替えるほどでした。そしてはじめてのヒーリングを受けてご機嫌で帰宅し、靴下を脱いでビックリでした。革の色が足裏について真っ黒!とても人様に見せれる足ではありません。恥ずかしくて、真っ赤になりました。あんな足裏の私に、とても優しく何一ついわずヒーリングしていただきありがとうございました。感謝せずには居れません。人を癒すとはなんと言う温かいものなんだろう・・・と感激しました。
その後、すぐなくなっていた瞑想CDが何故か旅行かばんから見つかり2度びっくり!!
そしてキャンセル待ちしていた○○さんのセッションの日が追加になり1番に知らせていただき予約をすることができました。そしてなんと魔女のブログにもその方のことが書かれていて3度目のビックリでした。これが魔女様の言っていたシンクロニシティなのでしょうか?まだまだありますが、何ということでしょう。感謝ばかりです。
とにかく、この流れに乗って行き先はわかりませんが人の役に立つことのできる人になります。今後ともよろしくお願いします。


●東京都在住 M様(女性)
先日のヒーリング大きな力を頂き本当にありがとうございました。私の中の変化を感じています本当にすごいことです。
船井オープンワールドのブースでの出来事です。オーラ・チャクラ・前世占いをしてもらいました。びっくり続きでした。オーラは綺麗なグリーン、中心がブルー、チャクラはバランスよく・・などなど。前世占いのお姉さんには、突然手を見せてくださいといわれ、「ヒーリングをするエネルギーがありますね」是非一歩踏み出されるといいですよと言われました。又直感があるといわれました。こんなことをいわれたのは初めてでビックリしました。
魔女様の素晴らしいヒーリングにまたまた感動していました。直感はこめかみ、一歩踏み出すのは足首。そんなことをおっしゃっていましたよね。すごい!すごい!効果を意外な形で実感できるなんて!本当に大きなエネルギー「気」をたくさん流していただけたのですね。本当にありがとうございます。本当に魔女ですね!
気を下げない生活、気を使いすぎない生活、気の上がる場所とか人との付き合いを心がけようと思います。まだ自分の内側から湧き上がるものは感じていませんが、小さく変化していると思います。
これからもよろしくお願いいたします。


●東京都在住 F様(男性)ご家族
素晴らしいヒーリングをありがとうございました。「3日目くらいからヒーリングの効果がはっきり出てきますよ」とのお話を当日うかがいましたが、ヒーリングの効果は早速翌日からテキメンに現れました。
まず、夏ばて気味で気が滅入っていた母は、翌日から気力が充実しはじめ、早速美容院に飛んでいったとのことで、同居している姉が母の話し方や気持ちがいつもと違うと驚いてメールを送ってきました。電話で話したところ、それまでとは打って変わって、とても活動的になった模様で、本人はもとより父や姉もとても喜んでいます。あまりにも元気に母が外出などをしているので、気功ヒーリングの効果が逓減することなく、いつまでも長続きしてくれることを家族が願っているところです。
又、私も関連会社の社長から親会社の副社長として転籍したばかりで、頭も体も疲れが溜まっていたところでした。ヒーリングを受けた当日の夜は、いつも使っているのにこれまで全く気がつかなかったPCの電磁波の音(マウスを動かしたり、キーボードをたたくたびにブーンという音)が聞こえたり、早い時間からとても眠くなり、翌日の朝は歩くのが億劫なくらい体がとても重くて、ヒーリングの効果が出ているなとは感じていたところ、会社についた頃からエネルギーのレベルが前日までとは全く違って、活力が戻ってきていることを実感することができました。その後も仕事上で「ついてる」と感じることが続いています。
妻の体調のサイクルが戻り、アパレルの販売の責任者として働いているのですが、ヒーリングの翌日の売上が目標の2倍に達して、本社から何があったのかと問合せがあったそうです。
誠にありがとうございました。次のヒーリングを心より楽しみにしています。


●熊本市在住 O様(女性)
今日で4回目のヒーリングを受けました。
この1ヶ月、土日全てこちらに通いました。
1ヶ月前疲れ果てていたのが、今では自分で少しコントロールできるようになったなぁと思います。
疲れているのにもっと疲れることをしようとしていた自分に、「今日はここまで十分頑張った。」と納得できるようになったような気がします。
2回目を受けた翌々日熱が出て、下痢も始まりました。
熱が下がった後は体がすっきりしたような気分になり、下痢は一週間おなかがゴロゴロでしたが、痛みはありませんでした。
3回目を受けた翌々日は、左手薬指の爪(中指も)の先が手のひら側に曲がっていました。
夕方は確かに曲がっていたのも職場の人も見て、不思議だといっていたんですが、家に帰ってしばらくして指を見ると元に戻っていました。
次の朝も伸びていたのですが、職場についてふと爪を見ると、また薬指の爪が曲がっていました。
夕方は元に戻り、3日目はほんの少しだけ曲がりました。
それからは伸びたままですが、不思議な体験でした。
3日目の朝ふと気付いたのですが、いつもだったらイライラする出来事に、全然イライラしていない自分に気付きました。
目の前の一つ一つの出来事にゆったりした気持ちで向き合えるようになったような.....。
この1ヶ月でエナジーヒーリング・瞑想講座・身の丈...などの講座を次々に受講。
これもヒーリングのお陰かと思います。
来年もここでの出会い(というか、自分自身の気付き)が増えそうで楽しみです。
ヒーリングへ導いてくださったIさんとの出会いに感謝です。


●八代市在住 I様(女性)
3回目のヒーリングです。まず、気付いたことはお肌が白く綺麗になったことです。
ファンデーションもここ2,3日前から、ワントーンアップしたものを使っても自然な感じで、先日、2,3ヶ月ぶりに会った友人から、「やせた?」「なんか顔ちっちゃくなっとるよ!」と言われた程変化が出ている事には本当に驚きでした。
今回のヒーリングで感じたことは、呼吸が深ぁ~く深くなっていたことです。
光が入ってくるところでは、腕がぐぐぅ~っと引っ張られるような感じで、引っ張られるというか、浮く!?飛んでいってしまうような感じです。
深く呼吸をするたびに、百会からあたたかいものが、指先、足先までふわぁ~っと伝わってくような、とにかく気持ちよくなり、不思議な感覚です。
この感覚をしっかりと記憶して瞑想のときのイメージで修練していきたいと思ってます。
あと、もう一つありました。今日は朝から鼻づまりがひどく、息がしづらかったのですが、ヒーリング後、全くつまりなくスッキリ快調です!!!
まだありました。目からエネルギーが入るとき、波紋のような感覚を受けました。
うまく言えませんが、たとえると、音が空気に振動を与えるような波、周波のようなものが、魔女社長の手から目へと入ってくるイメージです。
毎回ヒーリングの後の受け取れた感覚は3回3様でしたが、回を重ねる度にリラックスでき、気持ち良く、汚れたものが流れ去った感じです。
これからもこの感覚を忘れることなく、日々頑張っていこうと思います。ありがとうございました。


●熊本市在住 T様(女性)
初めてヒーリングを受けました。本当に気持ちが良くてふわふわした状態です。
気が上がっているなと思います。
自分では特に深く悩んでいるという思いはなかったのですが、魔女が目からエネルギーを入れた直後に自然と涙が出てきて止まりませんでした。
魔女から「魂が喜んでいるんだよ。自分では気付かなかったのかもしれないけど、魂が深く傷ついていたんだね。」と言われました。
そう言われてみると思い当たることがいくつか・・・。自分では大丈夫と思っていたのですが、魂は苦しかったのだなぁと思いました。
今日ヒーリングを受けて本当に良かったです。
心身ともに浄化されました。良いことが起こる気がします!!
魔女とジャストスクールに感謝です!


●熊本市在住 A様(女性)
2回目のヒーリングを受けました。
1回目はどんなことをされるのだろうと恐怖??でドキドキでしたが、先生の温かい手で気を入れて頂き、半年間程アレルギーでかゆみとハレで苦しんでいたのが、随分楽になり、特に左眼のまわりは、かゆみとたるみが随分改善され驚きました。
さらに帰るとき道路を歩いて驚いたのは視界が明るく見える位置が違うのです。
腰がスッキリ伸びて背が2,3cm伸びたような感じで、まるでデュークさんの歩き方?のようにして元気に帰りました。
今日は2回目なんですが、やっぱり腰がスッキリ伸びた感じです。
特に首のアレルギーはひどかったのですが、カサカサ・ブツブツで黒ずんで汚い感じだったのが、しっとりとなりかゆみがおさまっています。そして体中が熱くてホカホカして心地良いです。
今日も先生のヒーリングのお陰でグッスリ眠れそうです。(今までかゆみでなかなかグッスリ眠れなかったのです)
でも本当に不思議です。こんなことがあるなんて・・・・・。
ありがとうございます。全てのことに感謝できるような気分です。


●熊本市在住 I様(男性)
吉尾さんのヒーリングを受けて3回目になりました。
最近、気の流れ(電流みたいに体が通る感じ)が、特に強く感じるようになった様です。
また、不思議な事が起こることが多くなった様です。そのことが、気付いてどういうことなのか?何か意味があるのかがわかり始めているように思います。
いろんなパワースポット(神社や遺跡等々)に行くと何か感じ(エネルギー・気)、不思議なこともあります。
これは何か導かれているのでしょうか?
吉尾社長さんおすすめの手取神社(菅原神社)で拝んでいると、その一瞬風が吹き、目の前にあった紙(神社のことが書かれている用紙・チラシ)が吹き飛ばされ、パラパラと舞ったことなど。
阿蘇神社(高橋宮)では拝観したあと鳥居をくぐった所で一瞬雨?水?がサァ~ッと降りだしたこと(天気は曇りで、周りは雨は降ってなくて、まさに自分が居た鳥居の近くだけに自分に向かって天から降ってきたのです。)。
これも何かのメッセージでしょうか?
自分の体に変化が表れ、それを少しずつ実感していることに嬉しい喜びがあります。
ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!
これから気功を学びたいと思います。楽しみです。


●熊本市在住 K様(女性)
平成17年11月からヒーリングを受けています。
子宮筋腫があり(大きいもので5~6cm 他多数)症状も量が多くて日常生活に支障をきたす程でしたが、今はそれで困ることがなくなりました。(固まりのようなものが激減しました)
それと気が落ちない(説明するのが難しいのですが)と感じる様になったことにびっくりしました。
悩んだりすると胃の辺りがクゥ~ッとなるあの感じが(抽象的ですみません)なくなったというか・・・・・。
気が、いい意味で張っている、充実しているという感覚を味わいました。
もちろんその状態がずっと続くわけではないのですが、気が上がっている時下がっている時が、自分でつかめる様になった気がします。
持続させる為に瞑想を続けることが大事だなと思います。


●熊本市在住 I様(女性)
父の視力が悪いことから、近所の方のご紹介でこちらへ伺わせて頂きました。
最初、私も父も緊張していたのですが、ヒーリングを受けた後、父の様子が変わり元気が出たように思います。
又、1回目の帰り、視力がほとんどない方の目で”車の流れがぼんやり見える・・・・・”と、2人で嬉し涙でした。
何より前向きになった父の姿が嬉しい私です。
とても良い出会いとなりました。ありがとうございました。


●熊本市在住 O様(女性)
今回で2回目です。初めて受けてみて気がついたのが、視界が開けた事。
私は近視と乱視で悩んでいたのですが、看板の文字等がはっきり見えるようになりました。
2回目受けた時は、手にビリビリ感を感じて温かくなりました。
今後も定期的にヒーリングに通いたいと思います。


●熊本市在住 T様(男性)
最初伺った時は余り感じませんでしたが2回目・3回目になるとぜんぜん感じが違います。
自分自身に驚いています。また機会を定期的に作り治療して頂きたいと思います。


●熊本市在住 K様(女性)
午前中にヒーリングを受け、夕方頭の中心に痛みがでる。すぐ痛みはなくなった。
その後、2日後に朝水便が10回以上出る。お腹の痛みはなく、尿のように便がでてビックリした。
お昼にはなくなって普通の便に戻る。
 とても不思議、肩、上半身に痛みが出てくる。

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東京での気功ヒーリング日程とお申込


  グループヒーリングを受けられた方の感想  
●K.Mさん グループヒーリング
ヒーリングを受けてとても自分オ中にあったわだかまりに気付き許せるような気持ちになりました。優しさあふれたヒーリングに涙しそうになりました。柔らかいひとときをありがとうございました。

●匿名さん グループヒーリング
いつものヒーリングに比べ短い時間でしたが、エネルギー走りっぱなし、鳥肌がずっとたっていました。首の後ろに3つの赤い斑点みたいなものまで出てきて又ビックリ!宇宙エネルギーさんとつながる幸せを感じて行きます。ありがとうございます。

●Y.Aさん グループヒーリング
魔女社長様、ありがとうございました。短い時間でしたが頭がクラクラする程のパワーを頂きました。ヒーリング中も川の水で流されている感じでした。起き上がっ時もクラクラ・・・・・倒れそうでした。金運のパワーを頂き金色の丸い物が出てきました。なんかこれから先良いことが起きそう~です。大変大変ありがとうございました。

●N.Hさん グループヒーリング
魔女社長から良いお言葉を頂きました。今日も又パワーを頂きました。ありがとうございます。次回も又よろしくお願い致します。

●Y.Kさん グループヒーリング
先日ヒーリングを受け気が上げ上げでしたが、その日の帰途他で、エネルギーをとられて具合悪くなりましたが、今日は又再び充電して頂きました。感謝です。

●N.Dさん グループヒーリング
音楽と香り、先生の話し声で、異空間へトリップしました。斜め前、上方に向かって道ができそうなモヤモヤした感じがしました。太鼓の音と音楽が合わさった時、チベットの僧侶のイメージが見えた気が...。終わって座った時に、左半身にゾワァーっと鳥肌が立ち、左右で全く感覚が違っていました。先生、すごい!

●匿名さん グループヒーリング
プチヒーリングがプチっぽくないくらいの気持ちよさで、体中ゾワゾワでした。本当に受けて良かったです。ありがとうございました。

匿名さん グループヒーリング
とてもいい匂いの中、ヒーリングされ、とても気持ちよかったです。選んだ色にも意味があるのだと思います。ありがとうございました。
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